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むかしむかしの放浪記⑤

列車は北京へ向けて走っていた。

僕らが乗ったのは2等寝台、人が1人寝ると幅はキッチキチ!当然個室ではなくカーテンが付いていた。

しばらくして、僕らは好奇心から列車内の探検に出た。

車内は満席、現地の人ばかりで僕らのような外国人旅行客は見当たらない。と言っても僕らも現地の人に溶け込んでいるようだが(笑)

この国の人はなんでそんなに荷物が多いのかなぁ~?1人で荷物を3つも4つも抱えている。旅行というより家へ帰る人たちだろうか・・・

2等の座席指定の車両はもっと凄かった。

椅子はもちろん満席!通路まで人、人、人だ!これで何時間もいや丸1日・2日は辛い。

寝台にして正解だった。

1等の座席指定と寝台車へは車掌?軍服のような制服を着た係員がいて出入りを制限しているようだ。

貧乏学生の僕らには別世界、立ち入り禁止ってことだな。

車両の端、入り口付近には給湯器があっていつでも熱いお湯が出る。現地の人はウーロン茶?プーアール茶?をよく飲むようだが、当時は景徳鎮のカップ(フタ付き)をみんな持っていてこの給湯器は大人気だった。

僕らも広州で呉さんの奥さんからアドバイスをもらってカップを買っていたのでこの給湯器にはホンとお世話になった。

車窓を眺めると中国って大陸だぁ~と、駅の間隔はとにかく長い!地平線って日本にいたら見たことないでしょ?ここは大陸なんだ!

そして駅に近づくとやたらと石炭と煉瓦が山積みされている。こちらの建物をよくみると煉瓦で作られたモノが多い。だからかなぁ~?

先ほどの給湯器も石炭?コークス?が使われており、暖房もこれでまかなわれているようだ。

なんといっても丸2日車内で過ごすんだが、食事は旨かった。

食事と言っても、僕らはもっぱら弁当を食べていた。駅に停まると弁当売りが始まる。

大体はルーロー飯、いわゆるぶっかけ飯だな。

チンジャオロースのようなものもあるし、魚のあんかけがかかっているものなど結構美味しい。

日本人は中華料理は口に合うのかな。世界中で日本料理店よりも中華料理店の方が圧倒的に多いらしい。

どの街にも1軒はあると。そして食べるものに困ったら中華料理を食べとけば大体は外れはないと以前聞いたことがある。中国4000年の味は偉大だな。

この列車の旅は2日という長さを感じることもなくアッという間とは言わないが楽しく過ごせた。

ただ一つ、ちょっとした事件?が起きた。『大行列事件』

僕らの寝台は2等でベッドが3段、向かい合わせになっていた。したがって6人が一つの空間を共有している状態。昼間は一番下のベットにみな座ることが多い。僕ら4人の他に中国の男性2人と一緒だった。

この男性たちは重慶の実家へ帰るということだった。僕らは日本の学生で1か月の旅行に来たこと、これから北京に行くまでは決まっているが、その先は全く決めていないこと。などなど身の上話しをしていた。日本も中国も漢字圏、大体は筆談で漢字を書くと意思疎通は出来る。

でも、日本人だといった時、1人の男性はそうでもなかったがもう一人の男性はちょっと嫌な顔をした。

その時はよく分からなかったが、重慶といえば戦争中に日本軍が爆撃をした街である。多分、男性の家族や知り合いで亡くなった方がいたのだろうか?

その後は何となくよそよそしい感じになった。

翌朝、「チェンジマネー」と片言の英語で僕らの兌換券(外国人用の紙幣)と自分らの人民元を交換してくれと。

兌換券の方が同じ1元としても価値が高い。

昨日のギクシャクした雰囲気もあったし、人民元でも買い物は出来るし、「OK!」と言って交換に応じた。

すると噂が広まるのの早いこと、早いこと。次から次へと人が来て大行列が出来上がった!

流石に全財産を人民元には替えられない、大体そんなに大金を持っているはずもない。そしてなにより人民元は出国の時に両替ができないのだ!余ったら紙切れになってしまう。

次から次へと来る人に頭を下げてお引き取りいただいたが、自分の人生に於いてこんな行列は見たことないし、こんなにも頭を下げたことも初めてだった。

まぁ、いろいろあったこの大移動も振り返れば楽しい時間だった。

そして列車は無事北京に到着した。

今回はここまで、次回は首都北京でのお話。

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