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むかしむかしの放浪記④

さて、深圳から列車に乗って広州に着いた。

中国4大料理の一つで、『食は広州にあり』とも言われるグルメの街。

片っ端から食い歩きたいところですが、なんと言っても僕らは学生の貧乏旅行。

それでもこの町で人の温かさと出会った。

仲間のうちの1人が中国・広州出身の呉さんとバイト先が一緒で、中国へ卒業旅行に行くと言った所、それでしたら「僕の家を訪ねてください」と。

広州へ着き連絡を入れると、呉さんの奥さんが駅まで迎えに来てくれた。

そして家へ招き入れてくれ、食事をご馳走してくれた。

中国の本当の家庭料理、どれも美味しくお酒も入り僕らは時間も忘れて楽しいひと時を過ごした。

当時の中国では、外国人を家に招いたり泊めてはいけない。と事前に聞いていたので呉さんに迷惑がかからないかと心配していたのだが、奥さんは「あなた達はお金があまりないんだから今晩は泊まっていきなさい」と言ってくれ、その晩は泊めさせてくれた。翌日は飲茶の美味しい店へも連れて行ってくれ、至れり尽くせりのおもてなし。

最後に駅で僕たちを見送ってくれた。

初めて会った僕らにこれ程に親切な対応をしてくれるなんて、素直にうれしく感謝の気持ちでいっぱいだった。

僕の知り合いの中国人に以前こう言われたことがある。「貴方は好き、だけど日本はあまり好きじゃない」と。

2国間に流れる微妙な歴史感の違いが背景にあるのだろうが・・・しかしこの旅でまざまざとその感情の違いを体験することとなる、この時はまだ分からなかったが・・・・・

さぁ、これから楽しい旅が出来そうだ。

広州の駅に着いた僕らは、しばし作戦会議。これから何処へ向かうか?何も決めていないノープラン。

4人のうち2人は上海へ行きたい、僕ともう1人は四川へ行こうと。

意見が分かれる中、切符売り場へ向かうと上海へも四川へも出発までしばらく時間があった。

北京行きならちょうどある。「じゃあ北京へ行くか!」

一同異議なし!僕らは北京行きの2等寝台車の切符を購入して列車に飛び乗った。

後で分かることだが、広州ー北京間は距離にして約2500キロ、日本列島の九州から北海道と同じかそれ以上の距離ということだった。時間もゆうにまる2日かかった。

当時の中国の鉄道は日本と違い時間もかなりルーズで、とにかく人が多い。

切符の種類は4つあって、2等の座席指定、2等寝台、1等座席指定、1等寝台となっていた。

料金は当然1等寝台が一番高い。外国人の料金は外貨獲得の為に一般の人よりも高く設定されていた。

使う紙幣も外国人が使う元と中国の人が使う元(人民元)とは違っていてレートも違うということになっていた。

そして行く先々で現地の人から人民元と変えてくれとせがまれることとなる。

列車はゆっくりと彼方先の北京へ向けて走り出した。

人生初の寝台車!しかも2500キロの長旅だ!さぁ、どうなることやら(笑)

今回はここまで、次回はいざ!首都北京へ!

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